トンガの防災は【 ハリケーン通過後3日目】
2月15日木曜日、月曜深夜にハリケーンGITAが通過し、今日で3日目になります。
街の復旧も活発になってきたようです。
ヌクアロファは町の至るところに憩の場的な美しい大木があるのですが、今日は倒れてしまった大木の解体作業を見かけました。
3日目になってつくづく思うことが防災、減災についてです。
日本の防災対策としては、食料の備蓄、飲料水や生活水の備蓄、家族との連絡手段の確保などが言われますよね。
停電に備えて調理のいらない缶詰を買い置きしますし、断水に備えてポータブルトイレという日本らしい素晴らしい防災グッズもあります。
また遠方の家族の無事を知るために災害伝言ダイヤルなるものも登場しました。
しかし一方、明らかに被災しているのにどうもあまり深刻そうでないトンガの人たち。
彼らを見ていると、日本で言う災害対策が、トンガではほぼほぼ日々の中に組み込まれているのではないかと思い至りました。
というのも、
食料はもとからその辺になっている野菜や果物やイモをとって食べているし、
野良ブタもいるし、
水ももとから空から勝手に供給されるし(雨水生活なので)、
親族一同はそもそも一緒に住んでるし。
実際に現在、電気は止まっているものの、ガスは使えて料理ができ、雨水は毎日タンクに補充されるのでトイレも流せますし、大家さん一家は変わらずそこに居ていつも通り、私自身も危機感が希薄です。(雨水タンクが壊れてしまった家は、もちろん生活用水に不便しています。)
たまたま浅田次郎さんを読んでいたのですが、「体験談のセオリー」として次のような一節がありました。
「幽霊なるものを本当に目撃した人間は、けっしてその体験を口にはしない。思い出すのもいまわしいからである。一方、幽霊らしきものを見た人間は、さかんに吹聴する。しゃべったところでたいして怖くはないからである。」
私が、このハリケーンを記録しておこうと考えるのは、まさに怪我もせず、災害後のパニックも経験せず、思い出しても「たいして怖くはない」からでしょう。
ただそれに加えて、たいして怖くないのは、トンガの例えば断水に動じない生活習慣や、トンガの人達のこの落ち着きっぷりのおかげでもあるように思います。
トンガ人家族たち、今日も壊れた屋根や車の修理、枝木の伐採などせっせと自力でやっていて、自分の家は自分でリカバー!という習慣が、被災後にもかかわらずこれだけ落ち着いている所以かもしれません。
高度に分業化された日本では、かえって家や街の回復に混乱が伴うかも。
地震、津波、ハリケーン、もちろん日本とトンガは災害の種類も国の規模も違いますし、日本だったらすぐに自家発電で電力が復旧し給水車が街に回るのかもしれません。
しかし、水が尽きるか?給水車はちゃんとうちの地域に来るか?と心配する時間すら無いというのはとても心安らかで、「災害に強い・弱い」とはどういうことだろうと、つくづく考えてしまいました。
【参考】浅田次郎(2015)『椿山課長の七日間』集英社、p396、実はそうでもないヒットマンがいかに凄腕という評判を手に入れたか説明されるシーンより