トンガの日本語教育は
協力隊の面接時、どうしてもトンガに行きたかった私は、面接官の先生方に「なんとかトンガに…!」とお願いしました。
私が長らく興味を持っていた、トンガ王国の日本語教育事情について書いておきたいと思います。
トンガの日本語教育は、1985年、離島のババウハイスクールから始まったとされています。1986年からJICAの派遣が始まり、ババウハイスクールには現在もJICAボランティアが派遣されているので、30年もの間、日本語教育が続けられてきたということになります。
明記されている文献を見つけられないので、あくまでトンガの人や日本語教育関係の方に聞いたことなのですが、日本語が勉強され始めた発端は、それ以前からトンガに入っていたそろばん教師達の影響があるようです。
JICAのそろばん隊員の活躍、日本のODAによるトンガの援助などを受け、親日の気持ちをトンガの偉い人達が持ってくださり、中等教育の外国語科目のひとつとして日本語が選ばれたという経緯があるようです。
1985年以降は、1987年アテニシ大学、88年トンガハイスクール、96年エウアハイスクール、2000年ツポウカレッジ、と国内各地の教育機関で日本語の授業が開設されました。
そして2002年、TIOE(Tonga Institute of Education)に日本語講座が開設され、トンガ人日本語教師の養成が開始されました。
そして2005年、これはJICAボランティア派遣国でもめずらしい事例のようですが、現地人の教師、初のトンガ人日本語教師が誕生しました。
2016年時点で現在10名のトンガ人日本語教師の先生方がいらっしゃるとのことです。
教科書についても、トンガはユニークで、Must be originalという方針があるそうです。
つまり市販の教材ではなく、教師陣が独自に作成した教材で教えろということです。
それを受けて、日本語教育でも歴代の隊員の方々が、膨大な時間をかけてトンガのためだけの日本語の教科書を作成されてきました。現在でもその歴史ある教科書が改訂を加えられつつ使用されています。(イラストや会話例などにトンガっぷりがあふれていて面白いです。)
国際交流基金の調査によると、現在トンガで日本語を学ぶ学生は153名、うち152名が中等学校(高校生)です(2016年時点)。
この153名の学生、何を思って日本語を勉強しはじめたのか。
私はこれまでドイツ、タイで日本語教育にかかわった経験があります。
ドイツの学生は、日独の物価の差が小さいことから、日本への旅行や留学のチャンスが比較的多く、日本語を学ぶモチベーションもそこにあるように思われました。
タイの学生は、日系企業が多くタイに進出していることから、日本語を習得すればそのスキルは給料のいい仕事に直結しているようすでした。
ではトンガの場合は。
トンガに住む日本人は約50人、日本人の友達もそう簡単には作れないでしょう。日系企業は2社、しかし日本語を使った仕事があるわけでは無く、また日本へはそう簡単に旅行に行けるものでもありません。
なぜ学生たちは日本語の勉強を続けられるのか。
言ってしまえば、トンガではべつに日本語を勉強しても実益はなく、日本語を勉強しなくても幸せに暮らせるわけです。
にもかかわらず、30年、高校で日本語がひとつの選択科目になっている不思議の国トンガです。そして私が相手にしている学生は、そんなトンガで日本語教師になろうとしているトンガ人です。
外国語教育の現場でなされる議論のひとつに、「教室は現実の模倣か」「教室は現実の疑似体験の場であるべきか」というものがあります。
「いくらですか。」「税込み580円です。」日本で生活するためにこの会話を授業で練習したら、教室内は来る現実世界での買い物場面の疑似体験、事前練習の場になるわけです。
日常生活で日本語を使う機会がほとんど無いトンガの学生にとっては、もしかしたら教室自体が日本語を使う本番なのではないか、と想像しています。
目の前にいる日本人教師と交わせる会話を増やしていく、その作業が授業となっているとしたら、なんとも貴重ですてきな日本語教育だと思います。
一見、日本語勉強しても意味ないやーんと言いたくなるトンガ。
そんな国でどのような授業ができるのか、これが気になって気になって、わたしは面接官の方に「トンガにどうにか…!」とお願いしてしまいました。
先週の金曜日は、勤め先のTIOEで生徒会行事があり、ついでに皆さんが私の歓迎もしてくださりました。
歓迎されるゲストには、このような花と葉っぱのレイが送られます。Kahoaというそうです。
いい色でいい香りの植物が選ばれるそうで、虫たちがまあまあ寄ってきました。
歓迎のKahoaに恥じないよう、トンガの日本語教育を2年間考えていきたいと思います