トンガ人の歌声は
トンガ人はよく歌います。
若者もお年寄りも子供も、おっちゃんもおばちゃんもちょい悪めのお兄さん達も、ひとりででも友人とででも、合唱でも鼻歌でも全力の独唱でも。
通勤時にたまに見るのですが、登校中の男子高校生が2人で歩きながら歌っているのは、これは日本にはぜったい無い光景ではないでしょうか。
というわけで私は、このよく歌う国民性はトンガ名物のひとつだと思っています。
そして、もし日本の友人がトンガに来たら、ウムも食べさせたい、海も見せたい、ですがトンガ人の合唱をぜひ聞かせたい。
はじめて彼らの合唱を聞いたときは、なんというか「うわー…」と思いました。
すごく力強くて、少し感動的なんですね。
↑ ちなみに合唱の開始はピアニカで。
湊かなえさんの小説に「絶唱」というものがあります。小説の舞台はこのトンガ王国です。
私もJICAに応募するまで知らなかったのですが、湊かなえさんはかつて家政隊員としてトンガで活動した協力隊OGさんです(先のサイクロンで浸水し何冊かだめになってしまったものの、隊員図書室には湊かなえさんコーナーが設けられています)。
アナザースカイという番組で語っていらっしゃるように、トンガ以外は行かないと面接時に宣言されたそうです。
私も面接官に何卒トンガへとお願いしたくちなので、勝手に少し嬉しく思っています。
その湊かなえさんは、「絶唱」という小説のなかでトンガ人の歌声についても描写されています。
「牧師がトンガ語で何か言うと、みんな、賛美歌集を開いた。シオシが開いた状態の賛美歌集を、わたしに貸してくれる。トンガ語だ。
指揮者もオルガンもないのに、みんな、せーので合わせたように賛美歌を歌い始めた。パート別に分かれて座っているわけでもないのに、何重にもきれいにハモっている。
こんな声、どこから出るのだろう。」
「意味もわからず歌っているのに、なんだかとても心地いい。」
小説に出てくるシオシくんのように、うちの大家さんも聖歌集を開いて見せてくれます。
聖歌は500番以上あるようで、これはいまだに謎なのですが、どうも特に年配のトンガ人たちはすべて覚えている様子です。
そして実際に、みんな思い思いの場所に座っていますが、なんとかなく何パートかに分かれていて、男女、大人子どもの声が混ざり、複雑にハモっています。
また「絶唱」の中では、湊かなえさんご自身の体験として歌声について書かれている部分もあります。
「わたしはその翌週、バシリカ教会に行きました。そこで聴いた聖歌隊の人たちの歌声は、空から降ってくる温かい光の粒のようで、鎖骨に流れ落ちた液体にひやりとし、自分が泣いていたことに気付きました。」
教会によって合唱の雰囲気も異なるのですが、気分が、視界が明るくなる感じがする、と私は感じました。「降ってくる温かい光の粒」かもしれません。
日本の学校の合唱部のような、きれいな精巧なハーモニー、という感じとはちょっと違います。
美しいものに触れた時の表現で「心が洗われる」というのがありますが、大きな楽器のような身体で歌うトンガ人の歌声は、私の印象ではどちらかというと「心がざぶざぶ洗濯されて前に押し出される」といった趣です。
力強くて明るい感じになります。
ということで、今晩もどっかから合唱がまあまあの音量で聴こえてきて、大変良い雰囲気の秋の夜です。