トンガ復興支援 サッポロ ”トンガってる?” プレゼント企画に協力させていただきました
1月に大規模な火山噴火と津波で、トンガ王国は大きな被害を受けました。
船からビーチまで泳いで物資を運ぶ人達の様子や、一列になってみんなで空港の滑走路の灰を掃除する人達の様子をSNS上なんかで見ると、大変な時期にあってもやはりトンガだなーと感じることもしばしばです。
津波で流された地域に再建した家の第一棟が建った、全島避難の住民に国王が首都の土地を新たに配分したなどのニュースも聞きますが、その中でもまだまだ復興の途中にあることと思います。
またこれまでゼロコロナでいたトンガ王国ですが、被災をきっかけに蔓延しているコロナウイルスもとても心配です。
様々な復興支援があるなか、サッポロビールさんが現在"トンガってる?"というビールを販売中で、1本につき20円がトンガ大使館に寄付されるとのことです。
開発に携わったのは元協力隊員の方で、トンガをイメージしたこのビールの制作に対する思いもWebサイトから読むことができます。
トンガってる? | HOPPIN' GARAGE | できたらいいな。を、つくろう。 (hoppin-garage.com)
また、現在Twitter企画が実施されており、参加者から15名の方に私が描いたトンガのクジラTシャツかビールセットが当たります。
トンガのタパに水彩画で描いたクジラです。試作品を見せていただきましたが、印刷されてもなおタパの質感がよく見え、また布地に印刷されたことでより海の中のあいまいな感じ、水の向こうに見た大きなクジラの感じが際立つように思いました。
Twitterをされている方はぜひご参加いかがでしょうか。
【トンガ復興応援企画】みんなでトンガに応援メッセージを贈ろう!| キャンペーン | サッポロビール (sapporobeer.jp)
これからも、トンガの復興支援に協力していけたらと思っています。
よろしくお願いいたします🌴
トンガへの募金 受付先まとめ(1月25日)
トンガの知人たちからぽつぽつと「大丈夫だよ!」と返信が返ってきました。義援金の情報もいろいろ新たに出ているので更新しておきます。
被害の様子がだんだんわかってくるにつれて、トンガらしい力強いエピソードも聞こえてくるようになりました。被害の大きかったマンゴ島民がみんなで丘の上で固まって一晩明かしたこと、息子が助けに来ては危ないと思い、呼びかけに答えず黙って一晩海に浮かびつづけありがたくも生き残ったお父さんの話、国民の8割が被害を受けたのにもかかわらずみんなが黙々と(あるいは歌いながら)片付けをしている様子など、ああこれぞトンガと思います。誰も孤独じゃないところに、いわゆる「途上国」でありながら、日本よりも強い防災の力を感じます。
それでもやはり、知人たちのメッセージには「夫が車に乗れ!と叫んで、急いで逃げた」「波がどんどん大きくなるのが見えた」「火山灰でフロントガラスが真っ暗になって進めず、人生で一番怖い時間だった」「エウアとトンガタプがこわされちゃった」とその日の様子が書かれていて、あのやさしくて陽気なトンガの人達が、こんな怖い体験をさせられたことをつらく思います。はやく、できるだけ癒されるように願っています。
もう少ししたら、義援金以外の支援方法が出てくるとより良いですね。
個人的には大家さんや元職場に直接ものを送りたいのですが、コロナの影響でトンガは長らく海外からの個人小包の郵送を受け入れていないので(昨年秋の時点では書簡ですら船便しか送れませんでした)、それが今後どうなるのか見ておきたいと思います。
トンガへの募金 受付先まとめ(1月20日)
どこからでも海に近いような島なのに
まだ体に残るトンガは 帰国後レポート②
さて、早いものでトンガから帰国して1年がたちました。
帰国したのは2020年の1月でしたが、いまだしぶとく私の中に残るトンガをご報告したいと思います。
【私の中に残るトンガ】
1.紫外線の時間差置き土産
これは30代突入とのダブルパンチだとは思いますが、帰国してから、まあしみ、そばかすが目につくようになりました。
そして爽やかじゃない話になりますが、赤いほくろや首いぼが増えました!
この赤いほくろ、調べてみると、極度の紫外線を浴びると毛細血管が発達してできるそうです。そんなん日本の7倍、トンガの紫外線ですよね。
帰国後はレモン水がぶ飲み、日焼け止め毎日かかさずなど、とにかく自分の肌が持てるだけのターンオーバー力を活性させるべく努力しています。
トンガに住む予定がある方はどうぞお気をつけください。
2.泳ぎたい気持ち
近所のプールに入会しました。
トンガでは海を眺めるのは日常茶飯事、ビーチでばしゃばしゃもよく行っていましたし、時には大海原でもばしゃばしゃしていました。
あの水に浮く感覚を求め、プールに通う生活になりました。
余談ですが、市民プールには人生のパイセン達が結構集っていて、バタフライをしていたり、めちゃめちゃかっこいいです。
3.日焼け跡
トンガの日焼けがまだ治りません。
後ろ姿にいまだに水着の跡が残っています。しぶとすぎませんか。
ぱんつ脱いだのに「え、まだ履いてる?」て思うぐらいの日焼け跡なんですが、いまだとれず、市民プールの更衣室でぜったいおばあちゃん達にひそひそ言われていると思います。
4.デスクで一人でおやつ食べたらなんか悪い気がする気持ち
仕事中デスクでちょっとおやつとか食べるんですが、なんか「いります?」て島のみなさんに声をかけないと、すごく失礼な気がします。
トンガでは一人で食べる行為は行儀が悪く、同僚がパンすら半分にしてシェアしてくれたりしましたが、日本ではどんぐらいおすそ分けするのがいいんだったか。
5.すぐ収穫できる食材が近くに欲しい気持ち
トンガでは家の前にバナナがなっていたり、庭にネギやらバジルやら植えてみたり、大家さんが食べられると言ったその辺の葉っぱを炒めてみたり、学校にあるマンゴーやアボカドの木から実を採って帰ったりしていました。
新鮮極まりない食材があることと、例えスーパーがつぶれても何かは食べられる感じがとても頼もしかったトンガ。
住み始めたアパートでも、ささやかながらプランター菜園を始めてみました。
6.その辺の人に話しかけたくなる気持ち
これは私の中の大阪のおばちゃんが、確実に育っているせいかもしれません。
電車の隣の人、エレベーターで乗り合わせた人、コンビニのレジで一緒に待っている人に暑いですねとか、その携帯カバーいいですねとか、なにか一言話しかけたくなります。これは気をつけないとまずいですね。
7.くじらに惹かれがちの心
トンガの海でくじらと対面した衝撃から、その後くじらが大好きになりました。
グッズを見ると買ってしまうこともしばしば。
いずれにせよ、トンガに住んだことが無い自分には二度と戻れません。
トンガのいい習慣と日本人として生まれたいい習性を大事にして、今後の人生もやっていきたいと思います。
トンガとコロナ 帰国1年後レポート①
さて、早いものでトンガから帰国して1年がたちました。
帰国したのは去年の1月でしたが、
慣れない東京、乾燥したジャパンの冬を省みず、
帰国記念で連日東京の知人と飲み会、
はしゃぎすぎて体調をぶっ壊し、コンビニでマスクを買ったのが懐かしいです。
今思えばそのあと急激に世相は動き、1年前とは全く違う世界になってしまいました。
「外出にマスク必須とか手塚治虫の未来の世界やん」なんて去年の今頃は思っていましたが、いまや当たり前になりました。
マスクが常態化するのは絶対いやだと思い、使い捨てマスクしか使わない!と、なぞの意地を見せてきましたが最近ではめっちゃおしゃれマスク興味あります。
さてFacebookを見ていると、私が勤務していたトンガの教員養成校では、この1月に卒業式が盛大に執り行われていました。
誰もマスクをしていません。
コロナ以前と変わらず、トンガの人達は大いに歌い、みんなで食べ、ハグしあってるのだなーとなんとも清々しいです。
大使館やたびレジの情報ですと、トンガはコロナが話題になって早々に国を閉じました。トンガの対応を、時系列でざっと追ってみるとこんな感じです。
■2020年3月4日
トンガ政府 渡航勧告(中国には行かないでね~、中国行った人は2週間経過観察してね~)
■2020年3月4日
オーストラリアに滞在歴のあるトンガ人1名の感染疑い(その後陰性が判明)
■2020年3月13日
トンガ政府 緊急通報命令発出(トンガ国内の症状がある人、濃厚接触者はトンガ政府に必ず届け出る義務を課しますよ!)
■2020年3月23日
トンガ政府 航空機着陸不許可命令(しばらく飛行機はトンガに着陸できません!)
トンガ政府 トンガに発着するすべての国際線停止
■2020年3月26日
トンガ政府 国家封鎖通知を発表
・レストラン、バー、カヴァクラブ、教育機関、宗教施設、ビンゴ(トンガでは1日中やり続けるなぞのビンゴが人気)、ジム、誕生日会、結婚式、すべての他人が集まるレクリエーション禁止(日曜日のミサはどうしていたのでしょうか)
・お葬式は屋内10名、屋外20名まで(トンガのお葬式の規模に全然見合わない!)
着陸不許可命令や国家規制措置の延長が繰り返され…
■2020年5月1日
トンガ政府 規制措置を緩和
・クラブやバー、カヴァは金曜日と土曜日だけOK、ただし日曜日の教会の前にあるカヴァ集会はOK
・結婚式や誕生日会OK
・お葬式は屋内40名、屋外100名までOK、ただし職員が立ち会います
・ビンゴやコンタクトスポーツはだめ(このころみんな草ラグビーができなかったんでしょうね…)
規制はその後も徐々に緩められつつ継続され…
■2020年7月6日
3月の国境封鎖以来初めて、在外トンガ人約50名がトンガに帰国すると発表(7月9日の予定がその後11日に延長されたようです。トンガらしい。)
その後規制措置はいまだに続いていますが、
現在は海外からの渡航者を受け入れるために隔離場所となるホテルやキャンプ地が、規制区域となっているようです。
そのほか行事は屋内50人以上、屋外100人以上までで実施しているようで、儀式を大切にしているトンガなので、卒業式も実施できてよかったなーと思います。
トンガは感染者がいないうちから、早々に国を閉じていました。
医療体制も(多分)まだ伸びしろいっぱいで、国民の多くがぽっちゃりさん(可愛く言えば)で、糖尿病も多いトンガなので、政府の素早い決断がすばらしいなと思いました。
そして政府の急に厳しい規制措置も、トンガの生活スタイルやトンガの人達のノリだからこそ、受け入れられ実行できたんじゃないかなと想像しています。(学校休みだって、仕事行っちゃだめだって、しょうがないね~はっはは~と言っている同僚たちがたやすく想像できます。)
「急に決めて急にみんなでできる」という点では、日本よりトンガのほうが災害に耐える力が強いかも…と思ったりします。
先にも書いた通り、写真を見ている限りトンガの人達は、今も歌って踊って大笑いしているようで、
世界が大荒れのこのときに、世界から遠いあの島では1年前と(というか昔から)変わらない生活があることに、「いや~トンガやな~」とほっとします。
「トンガこのやろう」と思うこともいっぱいあったんですが、結局嫌いになれないトンガ。
どうかあの国にコロナウイルスが行きませんように、トンガ人が変わらず生活していきますようにと、心から思います。
あとは、万が一トンガでコロナが流行ってしまったとき、日本の元気な私より先に、ちゃんとコロナの医師や糖尿病のおばあちゃんがワクチンを受けられますように。
一方で、協力隊は残念ながら全員引き上げ、待機している状態だそうです。
待機しているトンガ隊員の方(それから逆にトンガに戻れなくなっちゃったトンガの人達)も、早く現地に向かえることを願っています。
Art Exhibition トンガの今日は What I saw in Tonga 2018-2019
帰国して1か月以上が過ぎました。
トンガの陽気さを宣伝すべく、小さな個展を開きたいと思います。
2年間で描きためたトンガのイラスト、タパ絵画など展示しますので、大阪付近でお気が向かれた方はぜひお立ち寄りください。
ポストカード販売もあります。
【展覧会】
"トンガの今日は What I saw in Tonga 2018-2019"
2020年3月3日~3月30日
場所:EARTH DIVER Cafe&Dining
(JR福島駅から徒歩15分、大阪市バス大淀中4丁目から徒歩30秒)
月-土:11:30~14:30/日:11:00~14:00
※夜は気まぐれ
https://ja-jp.facebook.com/earthdivercafe
https://www.instagram.com/earthdiverdining/
2年間の集大成は
さて、私のトンガでの2年間が終わります。
任務完了で満足しています。
3人の日本語教師のたまごたちが誕生、あとは情熱を持続し実際に各島の高校に採用されてほしいところです。
1人の1年生は後続の日本語ボランティアにお願いしました。自分で教えきれないのは心残りですが、最高のコメディアン、いえ教師になれそうな学生なので必ず卒業してほしいです。
そして2年間毎日(平日は)考え続けた教授法シラバス。
もちろんまだまだ改良の余地がありますが、この国で日本語教師になる訓練生が学ぶべきことは何か、この国の外国語教育にとって優先されるべき指導項目は何か、手を抜かず考えました。
日本語を勉強しても経済的な利益がほぼ無く、学生のモチベーション継続がむずかしいトンガです。
そのトンガでなぜ日本語を教えるのか。
日本語教育というより外国語教育として、この国で日本語教育は役割を持っている、というのが私の2年の結論です。
トンガにも道端で外国人をばかにするガキんちょ達がいます。
世界とつながり無くしてはどの国もやっていけない現代では、異文化や外国人に寛容な人材、自分の国について深く理解できる人材の育成は義務教育で必須でしょう。
異文化理解学習としての日本語教育あるいは外国語教育が、トンガ日本語教育の意義ではないか。
そこにODAで日本語教育が実施されることの正当性があるのではないか。
2年を終えてそう思います。
また、だとすると外国語だったらなんでもいいわけで、数ある外国語のうちたまたま30年前に日本語を選び、続き、教員まで自家培養してしまっているトンガ日本語教育の状況を考えると、やっぱり「日本語を勉強してくれてありがとう!」と思わずにはいられません。
日本とトンガは友好関係にあり、そろばんや日本語が義務教育で教えられていることは、やっぱり一周まわって、友好の象徴なのかも。
いずれにせよ、この日本の大事な友人が今後も日本語教育を続けてくれると嬉しいです。
そしてトンガ日本語教育は、トンガ国内の他の外国語科目が教員養成をする際のモデルケースに、またはポリネシアの島嶼国で外国語教育が始まる際のモデルケースになれると思います。
いずれにせよ、一外国語教師として貴重な2年間をトンガにもらいました。