ネットが無くなってわかったこと
2週間ほどトンガ全土でネットが止まっていました。
1月20日の日曜日午後、楽しく見ていたYoutubeが止まり、いつもの調子悪いやつかと思ってネットをあきらめ(トンガでは雨が激しい日や、教会後など国民の多くがネットサーフィンしてる時間帯につながりにくくなることがあります)、
まあでもちょっとしたらつながるやろ、とほっていたらその日から、ネット不通週間が始まりました。
トンガはフィジーからネットをひいているらしいのですが、その海底ケーブルに船のいかりが接触したことが今回のネットダウンの原因だったそうです。
トンガ人たちは「フィジーに借金払ってなかったからネット止められた(笑)」とか言っていました。
え、光熱費感覚?と思うと同時に、この国はネットも自前じゃなかったかと、改めてトンガの援助されっぷりを再認識したところです。
しかし、ネットが無くても私の周囲では特に大きな混乱は無く、みんな怒らず気長に待っていました(日本が見習うべき寛容さかもしれません)。
またトンガには2社携帯会社があるのですが、そのうちの1社のTCC(トンガ企業)が衛星ネットとやらで非常用にネットをキャッチし、支店で1時間3パアンガで開放するなど対応していました。
貴重な2週間だったので、ネットが無くなったときに自分がどう行動したかを振り返り、長くなりますがそこから考えたことを書いておきます。
ネットが無くなってわかったこと
1.ことわざは正しい
「ネット復旧は2週間後の見込み」というトンガ人情報が入り、これはつまり2週間以上かかるなと思った私は、日本の恋人と家族になんと葉書を出しました。「ネットダウンしただけです。生きているよ。」と。
彼氏はとりあえず早く連絡したかったのですが、私の場合家族は海外に住んでいてもほとんど連絡しません。
ところが今回ネットが無くなり「いつでも連絡できる状態」じゃなくなったとたん、もし今お母さんから印鑑どこ?とかLINE来てたらどうしよ、もし弟から地震あった連絡とか来てたらどうしよ、既読つかんかったら姉死んだと思うんちゃうんと考えはじめ、結果これまで手紙など送ったことのない実家に葉書を出したわけです。
平常時だったらきっとしなかったので「便りが無いのはよい知らせ」と昔の人が言ったのはそういうことかと思いました。
数週間後に実家にあの葉書が届くと思うと、今となっては若干恥ずかしいです。
2.住んでる場所を知っている人は重要な人なのかもしれない
今となっては杞憂でしたが、ネットがこのまま数か月戻らなかったら徐々に家族以外もうちのこと心配してくれるかな~なんて考えました(TCCが非常用衛星ネットを開放したのでそんな危機的状況にはなっていません、念のため)。
上の通り、連絡手段はお便りになるわけです。
それで気付いたのですが、生きてるよ~て知らせたいなと思った知り合いたちを思い出していると、みんななんとなく住所がわかるのです。
家族と彼氏とばあちゃんは必要と思って住所をもともと控えてきていました。
エジプト人の友達は、家に行くほど仲が良いので住所が書けます。実家の近所やし。
地元や学校の仲良いメンバーは誰かの結婚式の招待関係でグループLINEに住所が飛びかっているので、これも遡ればわかります。
年賀状文化もすたれつつあるこの時代、住所がわかるというのは、自分に深く関わってくれている人なのかもとちょっと思った次第です。
逆に「あ、仲いいけど住所知らん」と思ったやつは、いつネットがぶっ壊れるかわからないので聞いておこうと思いました。
3.芸人さんに感謝したい
ネットが無くなり自分がどれだけYoutubeに支えられていたか思い知りました。
うちにはテレビもラジオもありません。
昼ごはんのときは明るいし外も動物が騒がしいのでいいのですが、なんせ夜がさみしい。外は真っ暗、時折聞こえるヤモリの鳴き声にびくっとする中で一人もくもくとご飯を食べるのはなかなか物悲しいです。
そしていくら楽しくてもやはり外国で仕事する日々、すりへることもあります。
そんなときは感情移入しちゃうドラマやドキュメンタリーより、やはり私は頭を使わず笑わせてくれるバラエティが大好きです。
Youtubeでバラエティが見れなくなって、自分がどれだけ山チャンネルやアメトークに癒されていたか改めてわかりました。日本のテレビ番組に、そして海を越えて私の精神安定剤になってくださっている日本の芸人さんたちに感謝したいです。
4.Facebook liteダウンロードしといてほんま良かった
さて1週間ほどするとどういう理屈かわかりませんが徐々にネットが回復し、くそ遅いですがちょくちょくつながるようになりました。
Google検索、Yahooメールチェック、アプリでの電話は一切できませんが、唯一動いたのがFacebook liteでした。メッセンジャーが使えたので、まじでダウンロードしておいて良かった。
5.鎌倉時代の人の気持ちがわかった
そのFacebook liteはタイムラインのスクロールはできませんが、直近で上がっている記事は少し読める状態でした。
私は普段「もっと読む」ボタンを押して記事を最後まで読むことはあまり無く、見えている部分だけを読み、ざっくりとFacebookを楽しんでいました。
しかし今回瀕死状態のネットにより2つほどしか記事が読み込まれなくなり、たまたま最上部に友人が近況を書き込んでいたりすると、これまでにないほど強く興味を持ち「もっと読む」ボタンを何度も押しました。読み込まれませんでしたが。
情報いっぱいのネットがなくなると、私もかろうじてつながるFacebook liteで、友人たちが心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくっている貴重な記事を読みたい、「もっと読む」ボタンを押したいと、激しく思ったわけです。
鎌倉時代の人も同じような気持ちで、知らん人の日記を楽しんだのかもしれません。
6.江戸時代の人のイメージが変わった
本が好きなのですが、普段はJICA図書室でタイトルとあらすじをささっと見て本を借りています。
これは本が、娯楽の選択肢のひとつだったからだと思います。読めれてある程度楽しければよかったわけです。
しかし今回Youtubeが無くなり、本が娯楽としてこれまでに無く重要な位置を占めるようになったとき、本当に楽しめそうな本を求めてあらすじをがっつり確認、冒頭の文章を好きな感じかちょっと読む、という真剣スタイルで私は持ち帰る本を選んでいました。
江戸時代には黄表紙やらなんやら面白い本が数多く生まれたとのことですね。
私がこれまでにもっていた江戸時代の人のイメージというのは、太平の世の中で、おおらかにほのぼのと道端で面白本を回し読みしていた、というものでした。
でももしかしたら彼らは貪欲に面白本を求めるシビアな読者だったのかもしれません。そして彼らに認められ本当に売れたものが今、史料として残っているのかもしれないな、なんてぼんやり思いました。
7.人と居ることはやっぱり楽しい
これはありきたりな気付きで恐縮ですが、やはりだれかと一緒にいることが持つパワーは何かありますね。一人で暇だとただ殺伐と暇ですが、同じ暇でも友達といる暇はなんとなく「なんかした」感があって気持ちが潤います。
8.ネットが無い時代に世界に出た人をやっぱり尊敬
いまやこんなにネットが重要な位置を占めてしまった私の生活。
ネットが無いと大事な人と連絡が取れない、母国から孤立した感も多少あります。
トンガ人の同僚が「スイスの山の上で毎年やってる会議知ってる? 自分とこの首相が喋ってたってラジオで言ってたで」と教えてくれたのですが、安部首相のダボス会議出席のことだと時間差でわかりました。
結論としてはネットが無い時代に海外に出た協力隊の先輩方、そして森鴎外や小野妹子も、その勇気と無謀さが改めてすごいなと思いました。
政府のお知らせ通り2週間でトンガのネットは修復されました。支払い済みの1か月分のネット(50パアンガ10ギガ)、元を取るために今週は色鉛筆を置き全力でネットサーフィンに励みたいと思います。