トンガ語の「さよなら」は
トンガ語は「さよなら」に大変こだわりが強い言語のような気がします。
そう思う根拠が2点。
1点目、道端のみなさんが “Bye!” と声をかけてくれます。
大変フレンドリーなトンガの人達。野菜を売っているおばちゃんや、車から顔を出している子どもたちが、よく私に声をかけてくれます。
みんな通り過ぎる日本人に、笑顔で “Bye!” (正確にはのんびり間延びした「バ~ア~イ!」)と言ってくれます。
が、私の感覚では、そこはふつう “Hi!” ちゃうん?と思うのですが、どうでしょうか。
道端で知り合いとすれ違うとき、開口一番「バイバーイ」て言いますか?
トンガの習慣か、それとも英語がもつ性格か私にはわかりませんが、“Hi!” ではなく “Bye!” を選択する彼らの感覚がかなり気になっています。
私の気のせいである可能性もあるので、しばらく数えてみたいと思います。
2点目、トンガ語には「さよなら」の表現が多いです。
“Alu a e!” これは離れて行く人に対して言う「さよなら」
“Nofo a e!” これはその場に残る人に対して言う「さよなら」
また上記のそれぞれについて、離れて行く人が複数人であれば “Mou o a e!”、その場に残る人が複数人であれば “Mou nofo a e!” という複数形が存在します。
さらに、離れて行く人が目上の人であれば “Faka‛au a e!”、その複数形が “Mou faka‛au a e!” と、丁寧度の区別もあるとのことです。
同時に使われる「さよなら」でも、離れて行く人とその場に残る人で、その表現が違っているのが、私にはとても面白く感じられます。
この2つの「さよなら」がトンガ語の教科書で第一課に出てきたことも印象的でした。
五月雨、霧雨、夕立、通り雨、ゲリラ豪雨…
よく日本語は雨を表す言葉が豊富だといわれますが、
これはつまり日本の気候、文化、生活習慣において、それだけ雨を表す必要があったからだと思います。
トンガ語は、「人がそこから離れて行く」という現象に、なにか文化的に強い思い入れがある言語なのでは…
と、こっそり想像しながら学習しています。